2017.08.21
ミャンマーへの旅⑩(旅をふりかえって)
天野惠子理事長の投稿です。
3月5日(日曜日)
午前6時、停泊地から出航
午前9時、Twanteに上陸。街を散策。道路が舗装されている!
船着場の中心に立っている時計が動いていないので、「この時計、時間おかしくありませんか?」と聞いたところ、私の問いに、ガイドさんの答えは、「止まってるんでしょう」と、全く気にしない。日常茶飯事とのこと。
ミャンマーでは、頭に物を載せて運んでいる女性たちを良く見かけますが、ここの街頭市場でもスイカを頭に載せて、売っている女性に遭遇。記念に写真を1枚撮りました。
Twanteの観光目玉である焼き物の工房も、シュエサンド・パヤー(寺院)も残念ながら、今回の行程の中には無く、午前11時には、ヤンゴンに向けて出航。Twanteからヤンゴンの距離は、24km。あっという間の到着。
午後からは、明日の下船に向けての事務的な手続き後、ヤンゴン市内でのFREE TIME。
ヤンゴンの景色は、Mandalayで乗船してから観てきた景色とは全く異質。市内には高層ビルが立ち並び、現在も休み無く建設が続いている。
2時間ほどの自由時間に、ボージョーアウンサン・マーケットで買い物を済ませ、船に戻る。18時半から、船のスタッフ一同が集まり、さよならカクテルパーティーの始まり。
3月6日(月曜日)午前7時半、乗船中にいただいたスタッフの方々の心憎いばかりの気配りに感謝しつつ下船。イラワジ川のクルーズを終えた。
今回の旅を振りかえり、何が一番印象に残ったかと問われれば、やはり現在のミャンマーの状況が50年前の日本の状況とそっくりだと感じたことである。
そのほか、ミャンマーの人々がアウンサンスーチーさんについて語るとき、彼女への信頼を口にしながら「彼女はかわいそう」といわれることが多いこと。
帰国してから、改めてミャンマーの歴史を紐解いてみると、130を超える民族から成り立っているミャンマーが抱える問題の小さくないことに気づいた。中でも、現在国際的に問題となっているミャンマーから周辺国への難民の問題、ミャンマー政府軍と少数民族との間の武装闘争など、アンサンスーチー女史にとって、頭の痛い国内問題が、実は控えている。
是非、関心のある方は、下記のURLをご覧になって下さい。
●アンサンスーチー(Wikipedia他)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/5826
●ミャンマー難民(Wikipedia他)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%BC%E9%9B%A3%E6%B0%91
●ロヒンギャ漂流問題 ミャンマー少数民族の対立と迫害の歴史(Wikipedia他)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%92%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%83%A3