天野理事長ブログ&スケジュール

2017.04.07

戦場ヶ原③

天野理事長の投稿です。

(戦場ヶ原①②の続編です)

 

ガイドさんのコメントが気になって、戦場ヶ原の乾燥化とシカについて調べてみました。読み応えのあったのは番匠氏の論文です。

 

戦場ヶ原は、首都圏に近く国道が通る位置にあり、戦後1950年代から1970年代初めにかけて急激に公園利用者数が増加した。利用者が多く立ち入る場所の湿原植生が壊され、裸地となってしまうような状況となり、1956年から利用施設の整備が進められた。

 

一方、1960年代には湿原の乾燥化についての指摘がなされはじめ、1970年代から特定外来生物オオハンゴウソウの駆除など湿原保全対策の取り組みが見られるようになった。1980年代には、利用者の踏圧による裸地化防止を目的として、湯川沿いなど戦場ヶ原を周回する木道の整備が毎年のように行われた。1990年代には、栃木県が主体となり、1970年代からの最大の懸案であった逆川からの土砂流入に対する対策など、総合的な湿原保全対策が行われた。

 

そうした中で、1980年後半に入り、シカの生息数が急激に増加し、戦場ヶ原でもいたるところにシカ道ができ、シカは戦場ヶ原の貴重な湿原生態系を損なう最も大きな要因となった。戦場ヶ原に咲く花の多くが、シカの食害で、見られなくなっていった。2000年代からは、保全対策の主体が栃木県から環境省に移り、新たに最大の問題として浮上したシカ対策が保全対策の中心となっていった。

 

戦場ヶ原湿原周辺のシカは、毎年季節移動を繰り返しており、冬には男体山山麓など低標高地へと移動し、春先に戦場ヶ原湿原周辺に戻ってくる。

1998年、栃木県が戦場ヶ原に隣接する小田代原にシカ侵入防止電気棚をつくり、2001年には、環境省が戦場ヶ原にシカ侵入防止棚を設けた。この防止棚は、湿原およびその周辺地域約900haを、高さ2.4mのステンレスワイヤー入りポリエチレンネットを使用した棚で囲うものである。

棚内に侵入してしまったシカについては、2006年から棚内における捕獲が実施されている。

 

その結果、2006年度以降、棚内のシカの確認頭数は急減している。棚外では大きな変動は見られていない。棚内の植生の変化も明らかで、2008年から始められている日光パークボランティアによる調査では、一時期シカの食害により確認されなくなったと言われる植物の開花が多く確認されている。 

 

参考文献

番匠克二 日光国立公園戦場ヶ原湿原における保全意識と保全対策の変遷 東京大学

農学部演習林報告 128,21-85,2013

【写真:奥日光の鹿】

奥日光の鹿

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