天野理事長ブログ&スケジュール

2015.02.17

阿波踊り

1月30日(金曜日)から2月1日まで、第8回日本性差医学医療学会学術集会に参加するため、徳島へ行ってきました。

1月30日(金曜日)から2月1日まで、第8回日本性差医学医療学会学術集会に参加するため、徳島へ行ってきました。

初日の金曜日は、第5金曜日にあたり、静風荘病院の外来勤務がありませんでしたので、鳴門の渦潮を見ることができたらとの淡い希望のもとに、雪の降る羽田空港を定刻(10:55 AM)に飛び立ちました。

 

徳島阿波踊り空港は雨。観光案内のお嬢さんによると「この天気では、鳴門の渦潮観光はお勧めできません。ホテルにも近い阿波踊り会館へ行かれてはどうでしょう」とのアドバイス。金曜日の仕事は、夕方からの会長招宴のみでしたので、ホテルに荷物を置き、阿波踊り会館へと足を運びました。夜には有名な連の踊りが舞台にかかるようなのですが、昼は阿波踊り会館専属の「阿波の風」による40分間の公演のみ。ちょっと物足りなさを感じながら、3階の阿波踊りミュージアムへいき、阿波踊りの歴史を勉強。もともとは精霊踊りや念仏踊りが原形のようですが、徳島城が竣工した際に、阿波守・蜂須賀家政が城下に「城の完成祝いとして、好きに踊れ」とお触れをだしたことが発祥とも言われています。

第二次世界大戦中には、一時、阿波踊りは禁止されましたが、終戦後復活し、日本が高度成長期に入った昭和30年代には全国に知れ渡り、昭和32年には、東京は高円寺で町おこしの起爆剤として阿波踊りが導入されています。

 

ちなみに、高円寺の阿波踊りは、始めた当初は「高円寺ばか踊り」と呼ばれ、踊りもいまひとつのようですが、30年代後半から徳島の阿波踊りの名手を師として訓練を重ね、腕を上げ、次々と新しい連も誕生し、拡大を続け、平成25年には参加連のべ156連・11,000人の踊り手と約100万人の観客を動員したと記録されています。

 

踊り子の引き立て役である鳴り物も歴史とともに変遷し、最初は笛や三味線で町を流して歩く形だったものが、鉦や太鼓といった打楽器が入り、基本的には、笛、三味線、締太鼓、大太鼓、鼓、鉦の6つの楽器とその演奏者で構成され、踊り子の広報にポジションを取っているそうです。

 

ここまで、ふむふむと言いながら出口の近くに来ましたら3Dメガネが置いてあり、「このメガネで動画をご覧ください」とありました。凄い迫力の大画面。女踊りの女性たちの美しさ、男踊りのアクロバティクな動き。それが延々と続く壮大さ。

是非、一度本番を見てみたいと心から思いました。今年は、まず手始めに高円寺阿波踊りの見学に行きたいと思います!

阿波踊り

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