女性外来の診察室から

No.29 東日本大震災と女性外来(東北労災病院)

東北労災病院 女性外来担当 山本蒔子先生の投稿です。

私たちは宮城県女医会として、女性の健康相談事業を平成14年に開始し、現在も60名以上の女性医師が事業に関わっています。

 

東日本大震災が発生した平成23年には、それまで年間100名を超す相談者があったのが、激減し52名になってしまいました。これは、震災の打撃により心の余裕を失って、相談を受けようとする意欲が無くなっていることを示すと思われます。

 

宮城県では東北労災病院が、働く女性のための女性外来を、平成154月に開設しました。

今回は、震災後に仕事を頼みやすい女性職員の業務量が増え、負担増で体調を崩した典型的な症例についてご報告をさせて頂きます。

 

症例1 

受診月日:平成275

居住地:福島県相馬市

年齢:57歳 職業:保健師

主訴:頭痛 首のこり

 

現病歴:

頭が締め付けられる感じは、以前にも少しあったが、震災後に酷くなった。

保健師として、被災者の支援をしている。復興に伴い、さらに仕事が増加している。補助金に関する事務作業も多い。職場では、係長であり、勤務時間は83021頃までと長い。次長は仕事を振るだけで、課長は働かず、夕方早く帰る。次長や課長からの仕事の依頼を断れない。すべて自分がしないと気が済まない性格。

 

治療方針:

長時間の過重労働であり、職場への過適応の状態。

仕事の仕方は自ら変えていくようにすること。すべてを自分で背負い込まないようにして、上司や部下にも働いてもらうように訴えていくこと。

 

診断書:長時間過重労働による頭痛。労働の軽減が必要と診断した。

 

 

症例2

受診日:平成2861

居住地:宮城県角田市

年齢:35歳 職業:小学校教諭

主訴:不安や抑うつ状態

 

現病歴:

平成234月から教員採用となり角田市の小学校に勤務し、元気であった。

平成25年の転勤により、津波で被災した小学校で、(中学校を借りていた)校長から次のような仕事をさせられた。

 

①学級崩壊のクラス担任になった。

②用務員が採用されるまでの1か月間に715から登校中の生徒の安全のために、旗をもって道に立たされた。

③早朝出勤をして、避難所や自宅からスクールバスやタクシーで登校する生徒の確認をさせられた。その頃から落ち込みが激しくなり、仙台市内の心療内科に通院し、1か月間休業をした。

 

症状の改善がみられて勤務を始めたところ、学校は復興により新校舎となり、引越や備品注文などをしなければならず多忙だった。

 

平成26年からは角田市の小学校に転勤となった。

しかし、教頭や同僚と意見が合わず悩んでいる。支援学級を担当しており、生徒は1名であるが体がだるく仕事がこなせない。この間いくつかの心療内科に通院しているが、他のクリニックでの治療を希望して受診した。

 

治療方針:

被災地において勤務することは、通常の教職以外の仕事があり負担が増えたことは理解できる。それが契機となってうつ状態に陥ったと思われるので、当院の心療内科での治療受けることにした。

 

 

平成2810

東北労災病院 女性外来担当 山本蒔子

 

http://www.tohokuh.johas.go.jp/patient/special/workingwomen/index.html

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