女性外来の診察室から

No.13 エストロゲンから女性外来へ

今回は山口大学医学部附属病院 女性診療外来 松田昌子先生の寄稿です。

 山口大学附属病院で女性外来を開設したのは2003年のことですが、その開設に関わった私がそこに至った経緯にはエストロゲンとの関わりが大きく、ここでは、その経緯と、エストロゲンを用いたホルモン補充療法への期待、失望、希望への変遷をお話ししたいと思います。

 

文部省(文部科学省の前身)の在外研究員として、1994年に私は米国オハイオ州クリーブランドのケース・ウェスタン・リザーブ大学循環生理学研究所のMatthew N. Levy先生の下に滞在しました。

Levy先生は循環生理学分野の著名な研究者で、当時の研究テーマの一つがエストロゲンの血管拡張・抗動脈硬化作用に関するものでした。以前からの知り合いで、温厚を絵にかいたような人柄であったことと、女性ホルモンと循環機能という興味深いテーマで研究できることで、在外研究員の話が出た時は、迷うことなくその研究室を選んだのでした。

 

しかし、到着早々聞かされたのは、私が加わる予定だったエストロゲンの実験は、担当していた中国人の研究者が家族の不幸で私が到着する数日前に中国に一時帰国してしまい、中断しているというニュースでした。

途方に暮れる所でしたが、彼が戻ってくるまで、とりあえず、アメリカ人の実験助手と私とで実験を続けることになりました。とはいっても、実験に使うウサギの卵巣摘出術、摘出した心臓を拍動させたまま潅流回路につないで行う冠動脈血流測定などは、それまで臨床研究ばかりやってきた私にはすべてが初体験で、私自身にとっては楽しい、貴重な経験でしたが、研究室には大した貢献もできなかったと思います。

中国人の研究者が戻ってきたのは私の4か月の滞在期間が終わる2週間前で、後は彼に託して帰国することになりました。しかし、この経験が内科医の私を女性ホルモンとの出会いへ、さらには女性医療へと導いてくれることになりました。

 

当時は、米国では、1978年に血管内皮細胞由来弛緩因子(EDRF)が発見され、続いてそれが一酸化窒素(NO)であると突き止められた頃で、それらの研究者が1998年にはノーベル生理学賞を受賞したことからわかるように、循環生理学分野ではEDRFが花形的な存在でした。

エストロゲンが血管内皮からのNO産生を促進する、そのことが即ち、女性においては男性に比べ、動脈硬化性疾患の発症が遅いことにつながるということで、女性ホルモンと循環機能の関連に関する論文も数多く発表され始めた時期でした。

 

2人に一人が心臓発作で死ぬという米国では、基礎研究が次々にエストロゲンの多様な働き、特に抗動脈硬化作用を解明していく過程で、閉経後女性に対するホルモン補充療法(HRT)に熱い期待が寄せられるようになりました。1990年代には、HRTの効果について多くのコホート及びケースコントロール研究が行われ、特に循環器領域ではHRTを受けた人では心筋梗塞や脳卒中の発症率が有意に低いという報告が次々に発表され、さらには、認知症やうつ病など脳に関連した疾患も予防できるという報告が出てきて、欧米のみならず、日本でも、自分の患者にHRTを行うべきか、考え始めた人が増えてきました。中には有効性にネガティブな報告もありましたが、実験的にはエストロゲンが血管保護作用をもつことはほぼ間違いないことが証明されていましたので、HRTへの期待が大きくなっていったのは必然的といえました。

 

そのような期待を打ち砕いたのが2002年に発表されたWomen’s Health Initiative (WHI)という大規模試験でした。

これは、NIHが巨額の資金をつぎ込み、1991年から15年計画で約16万人の健康な閉経後女性を対象にHRTの効果を検討した前向き研究でした。ホルモン使用群と非使用群との間で、心筋梗塞、脳卒中、乳がん、子宮がん、大腸がん、血栓形成、骨折などの発症率を比較したものですが、開始から約10年の中間評価で、HRTは大腸がんと大腿骨骨折は減らしたものの、他はほとんど変わらないか、むしろリスクを増加させたという、予想とは大きく異なる結果で、当初の計画を変更してその時点で打ち切らざるを得ないことになりました。

このニュースが報道された時期を境に、閉経後半数近い人がHRTを受けていた欧米ではその数が激減したということです。日本では元々HRTを受けている人は少なかったので、動揺は欧米ほどではありませんでしたが、期待が大きかっただけに、多くの医療関係者の落胆は大きいものでした。

 

WHIほどの大規模試験でHRTの抗動脈硬化作用は否定されてしまったため、その使用は旧来の更年期症状の治療に留められることになりましたが、その間に収集されたデータの解析はその後も続けられ、その中から希望の光がわずかながら見えてきました。

WHIの対象は平均年齢が高く、閉経とHRT開始時期のばらつきが大きく、肥満者も多いという、HRTの効果を評価するには問題が多すぎるということは初めから言われていたのですが、その後のサブ解析で、閉経後早期のHRT開始は、心筋梗塞の発症を抑制するという結果が出たのです。

基礎研究からも、エストロゲンは初期の動脈硬化病変に対しては病変の抑制に、進展した動脈硬化には促進的に働くということが示され、HRTの開始時期は重要な因子になることが示唆されたわけです。

 

それらの結果を検証するために、閉経後早期にHRTを開始すると動脈硬化の進行を抑制できるという仮説の下に2009年にThe Kronos Early Estrogen Prevention Study (KEEPS)が立ち上げられました。HRTを閉経早期(閉経後3年以内)に開始した人を対象とし、エストロゲンの投与方法も、経口投与と経皮投与で比較しています。

開始後4年の時点では、骨密度低下や認知機能、気分障害などに対しては有効性が認められているものの、血管内皮機能や頸動脈、冠動脈などによる動脈硬化予防という観点では特に差は認められていません。今後、4―5年は観察を続け、血管系への影響を確かめる予定のようです。

 

 山口大学での女性外来に戻りますと、米国から帰国してからは、HRTのできる更年期外来をやりたいという気持ちがずっとあり、産婦人科の医師や助産師の同僚たちと連携して、“女性のためのヘルスプロモーションセンター”というグループを作り、地域の女性対象に健康教室などを開いていました。

 

そのうちに、インターネットを通じて、米国の保健福祉省が、1996年より女性を総合的に診療する医療センターとしてNational Centers of Excellence in Women’s Healthを全米に展開しているということを知り、学長の助成金をもらって視察に行ったのが2002年のことです。

この時の視察から、米国流の女性医療センターを参考に、日本に合った女性医療施設作りを目指すことになり、山口大学でも1年後に、多科の医師・看護師などが協力する「女性診療外来」開設にこぎつけました。WHIの報告を知ったのはこの直前であり、“HRTで更年期以降の女性の健康を変えよう”と意気込んでいた私はその方向を修正せざるを得ませんでした。

 

しかし、この活動を通じて、性差医療を掲げて全国で女性外来を推進されていた天野惠子先生をはじめとする同志であり仲間である先生方、それまで付き合いのなかった産婦人科の先生方、さらには女性外来の診察室で出会った患者さんたち等々から多くを学ばせてもらい、ここまで来ることができました。

 

振り返ってみると、クリーブランドでエストロゲンと出会ったことが現在の私と女性医療との付き合いの原点といえなくもありません。これからもエストロゲン研究の動向から目を離さず、アンチエイジングとして“HRTのスタンダードな使い方”を実践できる日を待ちたいと思います。

 

 山口大学医学部附属病院「女性診療外来」

http://womencl.med.yamaguchi-u.ac.jp/?%A5%B9%A5%BF%A5%C3%A5%D5%BE%D2%B2%F0%2F%BE%BE%C5%C4%20%BE%BB%BB%D2

阿知須同仁病院 女性総合外来

http://www.ajisudohjin.com/characteristic.html#1

松田昌子

試験管

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