女性外来の診察室から

1人の女性患者が強く成長した女性外来

当院の女性外来に約10年間通院を続けたH氏は、私にとって、徐々に体調が改善し強く成長した症例です。初診時は、頭位眼振性目眩と、過敏性大腸症候群です。既に、かかりつけ医の耳鼻科、消化器内科に通院され、薬物治療も受けております。しかし、弟が経営する会社に勤務していますが、大事な仕事の時に目眩起こすと社長の弟や同僚に怒られ、陰口を言われるのが怖いという恐怖心で仕事も休みがちでした。また、過敏性大腸症候群では、便秘は苦痛でないが、1日2から3回と下痢を起こすと、体重が2 kg減少するのが、怖いという恐怖心もありますが、下痢のコントロールできていませんでした。長男のサッカー大会には、試合に負けるのではないかと心配するとその場で応援できず、眩暈も出現し仕方なく家に帰ってしまうという状態で、子育てにも支障をきたしていました。
 当初は私も、両疾患にはかかりつけ医が綿密な検査や治療を行っており、当院での検査は特に行わず、複数回の下痢から起こる肛門部痛には軟膏処方、整腸剤処方、不眠時には安定剤処方という対応で、お話が主体でした。
 本症例の恐怖感を取り除くために何か良い方法がないかと検討しておりましたところ、ロシア発の「システマ」という方法に辿りつきました。元々ロシア軍の特殊部隊で使われていた武術で、内務省所属の特殊部隊のメンバーとしていくつもの作戦に参加し、政治家のボデイガード養成などにも従事したロシア軍将校、ミカエル・リャコブが、ロシアに古くから伝わる武術を現代向けにアレンジして生み出したものです。私が小学生の頃には、鉄のカーテンがあり東西冷戦時代でした。その頃には、鉄のカーテンの向こう側からやってきたという神秘性と極めて合理的な技術体系、そしてロシア古来の人生観に基づいた哲学などが注目をあつめ、システマは急速な勢いで世界各地に広まりました。そのきっかけは、1993年にカナダのトロントに設立された、ロシア国外での初めてのスクールです。校長のヴラデイミア・ヴァシリエフは、ミカエル・リャブコの高弟にして、ロシア軍特殊部隊の元教官でしたが、ソ連崩壊後にカナダに移住し、知り合いにシステマを教え始めたところ、爆発的な勢いで生徒が急増し、数年後には東西問わず世界中に支部が作られました。冷戦後には、アメリカのFBIスタッフや米軍関係者もロシアの軍隊武術を学ぶところから興味深いです。その受け入れは、『日常生活に即、役立つ』ということから、サッカーチームやオリンピックのアスリートが採用しております。
 そこで、参考資料を集め、試みて見ました。外来でシステマを取り入れる基本は、いかなる時にも持てる力を十分に発揮できる状態をキープすることです。それが、ピンチを生き延びるための、最も確かな助けとなります。それを実現するための原則は、次のようなものがあります。
1. 呼吸 : システマにおいて最も重視される原則です。ブリージングと呼ばれる 何らかのストレスを感じたら、鼻から息を吸い、口を窄めて、ふーと軽く音を立てつつ口から息をはくという、独自の呼吸法を用いて、緊張した心身を 落ち着かせます。患者さんは、仕事を短時間で終え、外出という目的で会社を抜け出すのですが、急いで診察室に入ると、まず深呼吸から始めます。
2. リラックス : 呼吸に並んで重視されます。筋肉の過度の緊張は身体を硬直させ、視野の狭まりや、判断力の低下などを招きます。だからこそ、心と身体をリラックスさせるように努め、快適な状態をキープしていきます。そこで、診察室にて、全身のストレッチ体操を看護師とともに、実施していきます。また、診察室では、その時々の状態に合わせて、アロマオイルを充満させました。
3. 姿勢 : 自然で快適な姿勢を保ちます。背骨は捻ったり曲げたりするような負荷を作らないように気をつけ、姿勢が歪んだらすぐに立て直します。患者さんは、ショールダーバックをいつも右肩にかけて、猫背で、俯き加減で、診察室に入ってきます。右肩は上がり、脊椎骨は、右に曲がり側弯症を来たし、左下肢は坐骨神経痛から痛みが起こり、整形外科に通院し鎮痛剤を処方されております。また、左肩に、肩関節周囲炎も起こしております。そこで、ショールダーバックはやめて、小さなリュックサックを使用する事をお勧めしました。時々、ショールダーバックを使うことがあれば、左肩にかけるように努力する習慣をお薦めしました。両方の肩甲骨の間を開いて血行を改善する為に、背もたれのある診察室椅子に両方の肩を乗せて、両腕を広げるストレッチ体操、ベッド上にうつ伏せになり、両側足を挙上する、腰痛体操を実施してもらいました。
4. 動き続ける : 身体の動きや思考、感情などがあらゆる面において停滞せず、常に流動的であるよう心がけます。患者さんは、仕事もしておりますが、朝食は手作りで、常時、ご夫婦と1人息子の3人で、同じテーブルにて食べるように心がけ、夫と長男の弁当作りは、毎週曜日ごとに同じ献立になってもいいから、暇な時には常時下ごしらえをした食材を用意しておく、などを努めてもらいました。以上が四原則です。自分をチェックする上でとても便利な指標となります。その上で、最後は
5. 恐怖心のコントロール : 自らの能力を殺いでしまう最大の要因。それは「恐怖心」であるとされています。恐怖を感じた時、自分の身にどのような変化が起こっているかを観察し、もとのリラックスした状態を保つようにします。
6. キープ・カーム : Calmとは無風状態の海のように鎮まり返った状態を意味します。内面的な静けさをたたえ、ストレスを受けても荒々しくなったり、萎縮したりしてしまわないようにするのです。
7. 回復 : 身体的、精神的なダメージを受けた際、確実に回復するようにします。どれだけリラックスしているつもりでも何らかのストレスが加われば必ず緊張が生じるもの、それにいち早く気づき、迅速に解消していくことで緊張の進行や蓄積を防ぐことができます。繰り返し行うことで上達すれば、短時間で大幅に気力と体力を回復させることができるようになるでしょう。
8. 己を知る : 「Know yourself」(汝自身を知れ)」とは、極めて重要な指標です。自分の長所や欠点、好みや性質などを知り、自分とはどのような人間であるか理解を深めていき、成長のヒントとするのです。また、トレーニングを通じて、緊張を取り除き、感情をクリアにしていくことで、それらの影響を受けていない素の自分に近づいていくことも意味します。

 以上の事を踏まえた診療を行うことで、患者さんの姿勢は改善、自分の性格や欠点に気づき、予めその対応の準備も心の中でできてくるようになりました。体の不調も減ってきました。1人息子も大学に進学し、やっと問題点が改善されたと安心しておりましたら、夫が検診で、stage IVの肺癌と診断されました。この大きな衝撃に周囲の医療スタッフは心配し、私も現在の患者さんの女性外来の通院状況を夫の呼吸器内科主治医に伝えておきました。しかしながら夫の入退院、化学療法、放射線療法のための夫の療養に常時付き添い、夫への心の支えになるために、しっかりと私の勧めたシステマを継続しました。夫の死亡時も平静で、死後も女性外来に通院し、時々は診察室で涙も流しますが、しっかりと仕事をして、生活を続けられました。
女性外来で、特殊な薬剤を使わず試行錯誤の医療を行い、一歩一歩一人の女性が強く生きられるように支えていけたことは達成感を味わい、また驚きでもあることから、女性外来の醍醐味でもあります。

石川県立中央病院 藤井 寿美枝

手の上のはーと

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