女性外来の診察室から

第80回 存在しない女たち

今回は天野惠子理事長の投稿です。

2 月 10 日(木曜日)は埼玉県新座市にある静風荘病院での外来日でした。天気予報は 10 ㎝の積雪と予報されており、外来の患者さんも電話診察が多く、午後 3時には、家に戻りま した。久しぶりにゆっくりとメイルを見ることができました。 中に、日比谷高校時代の友人で、私の患者でもある男性から下記のようなメイルが来てい ました。

「1 年ほど前に出た面白い本に出会いました。イギリスの女性人権活動家が書いた存在し ない女たちという本ですが、執筆のきっかけは医療分野のデータにおけるジェンダーギャッ プに気づき衝撃を受けたことだったそうです。全てが男性をデフォルトとみなした世界への 警鐘を鳴らす本です。改めて惠子さんの発想の原点に敬意を表しながら読みました。

著者によれば、将来に向かって女性の視点からの見直しのポイントは 3 点、

1 つは女性の体のことで、全てが男性サイズになっているために女性は居心地の悪い思い をしているし、特に医療では男性本位がまかり通ってているために命取りになりかねない 2 つ目は性暴力、 3 つ目が無償のケア労働 とあり、2 点目 3 点目は分かりますが、1 つ目については自らの家庭生活を振り返ってこの 本を読むまでは全くと言っていいほど無知無関心だったことを改めて思い知らされました。 ちょうどこの前の日曜日が結婚して 51 周年でしたが、気が付くのがいささか遅すぎました。」と反省を込めてのメイルでした。

これは絶対読まなくては!男性に医療におけるジェンダーギャップについて真剣になっても らうためのヒントがあるかもしれないと思いました。 早速、「存在しない女たち」を購入して、読みました。頭をガーンと殴られたような衝撃を受 けました。

著者のキャロライン・クリアド=ぺレスさんは、1984 年ブラジル生まれ、英国国籍のジャー ナリストで、女性権利活動家。オウンドル・スクール、オックスフォード大学ケブル・カレッジ で教育を受けた後、活動家としての初の全国キャンペーン「ザ・ウイメンズ・ルーム・プロジ ェクト」(女性専門家がより多くメディアに登場できるよう働きかけたプロジェクト)が話題とな り、2013 年には、イギリス紙幣に「女性像を増やす」キャンペーンを行い、国内外のメディア に広く取り上げられた方だそうです。

目次は第1部~第 6 部にわかれ、章立ては16章になっています。。

第1部 日常生活  第 1 章 除雪にも性差別が潜んでいる?  第 2 章 ジェンダー・ニュートラルな小便器?

第 2 部  職場  第 3 章 長い金曜日 、第 4 章 実力主義という神話、 第 5 章 ヘンリー・ヒギンズ効果 、第 6 章 片っぽの靴ほど  の価値もない

第 3 部  設計(デザイン) 第 7 章 犂の仮設 、第 8 章 男性向け=万人向け、 第 9 章 男だらけ

第 4 部  医療  第 10 章 薬が効かない 、第 11 章 イエントル症候群

第 5 部  市民生活  第 12 章 費用の掛からない労働力、 第 13 章 妻の財布から夫の財布へ 、第 14 章 女性の権利は人権に等しい

第6部  災害が起こった時 第 15 章 再建は誰の手に、 第 16 章 死ぬのは災害のせいじゃない

私が特に驚いたのは、彼女が読み進めた膨大な資料と、彼女の読みの深さです。 第 4 部の第 10 章は「遅れた診断」という、14 歳から始まった痛みを伴う急な排便の診断が、 12 年後にやっと過敏性腸症候群+潰瘍性大腸炎と診断された女性の話から始まります。 潰瘍性大腸炎は、今では、安倍総理大臣がその病気で総理大臣を辞した病気といえば、 多くの人が「ああ、あの病気ね」と病名は覚えていなくても、なんかそういう病気があるらし いと分かってくれますが、その発症率には性差はなく、男女比は 1:1 と言われてます。一 方、過敏性腸症は女性が男性の 1.6 倍と言われており、一昔前はなかなか診断のつかな い病気だったと私も思います。 彼女は、消化器内科医をも受診したが診断がつかず、総合診療医に内視鏡検査を勧め られた 26歳まで、長い間ストレスからくるものではと言われ、鎮痛剤を処方されては家に帰 されるの繰り返しだったそうです。 著者は、大きく診断が遅れた原因は医療におけるジェンダーギャップにあるとのではない かとリサーチを進めます。

1.昔から男性と女性の体には、体格と生殖機能以外には根本的に異なる点はないと考え られ、医学教育で男性が「基準」とされ、そこから外れるものはすべて「非定型」ないし「異 常」とされている状況が続いているのではないか?

2.医療におけるジェンダーギャップ問題は、性別特有のデータを入手することから始まる が、その実態はどうなっているのか?

3.臨床試験のみならず、マウスなどの動物実験や細胞レベルでの実験において性差は 検討されているのか?

4.医療機器などの開発過程での性差の検討はされているのか?

第 10 章に掲載された参考文献の数は 142 編に上っています。私が 第 10 章で、印象に残った個所を紹介します。

1.2014 年の「サイエンティフィック・アメリカン」誌の論説は、男女両性で実験を行うのはリ ソースの無駄遣いであると苦言を呈した。

2.2015 年、米国科学アカデミーはその公式科学雑誌の論説で「前臨床段階において性差 に注目することは、男女の健康格差への対処にはつながらない」と主張。

1.と2.については、思わず「嘘でしょ」と言ってしまいました。性差医療・医学の研究に、政府から日本に比べれ ば、信じられないほどの多額な資金が投じられている米国で、まだ上記のような発言をす る科学者・研究者が存在するという事実を知り愕然としました。

3.2018年、英国薬理学会の機関誌「ブリティッシュ・ジャーナル・オブ・ファーマコロジー」に 「臨床登録試験における性差についてー実際の問題は存在するか」と題する論文が発表さ れ、「FDA 承認済みで広く処方されている薬物について、公開されている登録関連書類を 横断的かつ体系的に調査した結果、実際の問題は何もない」と彼らは結論を下した。しかし、研究 者が実際に入手したデータにおいて、①治験の 4 分の 1 強に含まれていた女性参加者の数 は、米国においてその薬が効くはずの病気の罹患者の割合と合致していない。②米国 で処方薬の 80%を占めるジェネリック薬品の治験を対象としていない。FDA はジェネリック 医薬品を「すでに市販されている先発医薬品と同じ効力を持つ後発医薬品」と定義し、治 験は先発医薬品の治験ほど厳密ではなく、先発医薬品と同等のバイオアベイラビリティ(生 物学的利用能)が確認できれば良いとしている。しかし、すでに、2002 年に FDA は「先発医 薬品とくらべて、大部分のジェネリック医薬品の場合、バイオアベイラビリティにおいて統計 的に優位な男女差があると指摘している。③この論文においては、治験の第Ⅱ相試験、 第Ⅲ相試験における女性の参加率は、それぞれ 48%、49%であったが、第Ⅰ相治験では、 22%であり、第Ⅰ相試験に女性参加者が少ないことには重大な問題がある。FDA によれば、 女性に最も多い薬害反応の第 2 位は、男性には明らかに効く薬が女性には効かないこと だ。男女に大きな性差があることを考えれば、もしかしたら女性には効果があるかもしれな い薬が、第Ⅰ相試験で男性には効果がなかったというだけの理由で、いったいどれだけ排 除されていることだろう。

4.動物実験のうち 22%では動物の性別が明記されておらず、明記されている場合には、実 験に用いられた動物の 80%はオスであることが、2014 年の論文によって明らかになった。 ことに、データにおけるジェンダー・ギャップの観点から最も腹立たしいのは、女性に多い疾病の動 物実験においてさえ、雌性動物が含まれていないという事実だろう。

5.5 つの主要な外科専門誌を対象とした 2014 年の分析では、細胞研究の 76%では性別 を明記していない。また性別を明記した研究の 71%では雄性細胞しか使用しておらず、性 別に基づく研究結果を報告した研究はわずか 7%であった。 研究者たちが雄性細胞と雌性細胞エストロゲンに暴露させたのち、両方をウイルスに感染させたところ、雌性細胞だけがエストロゲンに反応してウイルスを撃退した。この興味 ぶかい実験結果から浮かびあがってくるのは、次の疑問点だーこれまで雄性細胞のみを対 象に行われた試験で効果が確認されなかったために、女性はどれだけ多くの臨床試験の 機会を逃してきたのだろう?

6.心臓血管の臨床試験における性差分析に関する 2014 年の調査の結果、NIH 出資によ る 61 件の治験のうち、試験結果を性別で分析しているのは、約半数の 31 件であることが わかった。ところが、NIH 以外の出資による臨床試験では、567 件のうち試験結果を性別で 分析しているのは 125 件しかなかった。2015 年、GAO(米国の政府説明責任局)は、 各研究において性差をきちんと検証しているかどうかについて、国立衛生研究所(NIH)は 定期的な確認を怠っていると批判した。

 「存在しない女性たち」医療の部を読み終えて、がっくり疲れてしまいました。性差を考慮した医学・医療の先頭を行っていると思っていたNIHですら、上記のようなありさまとは。まだほかの部は読み終えていないのですが、先生方に是非お勧めしたい本です。日本でも、さらに医療分野におけるジェンダ ーギャップについて関心を持ってもらうためにはどうすべきか、どういう手段があるかを模索する毎日です。

一般財団法人 野中東晧会 静風荘病院

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