天野理事長ブログ&スケジュール

2018.06.14

中国旅行③

天野惠子理事長の中国編第3弾です。

中国旅行3 写真2 中国旅行3 写真1

 

 

都江堰で昼食中に一天にわかにかき曇り、土砂降りとなりましたが、昼食が終了するころには晴れとなり、午後のツアーに出掛けました。

 

まずは、李白と並ぶ中国文学史上最高の詩人杜甫(712770年)の住居、杜甫草堂を訪ねました。

杜甫は安禄山の乱により、759年成都に避難し、4年余りを成都に住み、240編以上の詩を作り、その生涯で最も充実した時期をここで過ごしたとも言われています。

杜甫が建てたオリジナルの草堂は戦火で焼かれ、北宋時代に、草堂があった場所に祠堂が建てられ、その後規模が徐々に大きくなっていったそうです。

現在の建築群の多くは1500年と1811年のものです。

 

杜甫が書き残した名文のなかで私が最も印象に残るのは「国破れて山河在り」です。

第二次大戦から70年を過ぎた今、日本が再びこのようなことにならないことを祈るばかりです。

 

続いて、三国時代の蜀の丞相(じょうしょう※1)諸葛亮(字を孔明という。181234年)とその主君劉備を祀る成都武侯祠へ。

 

諸葛亮を祀った「武侯祠」と呼ばれる祠堂は中国各地にありますが(漢中、南陽、五丈原、白帝城、保山などなど)、その中でも有名なもののひとつです。

最も歴史が古いのは、紀元263年創建の漢中のもので、成都の武侯祠は、古さでは2番目ですが、最も有名で、三国志関係の文物を集めた博物館といった色合いが濃い建築物です。

 

武侯祠の「武侯」とは「忠武侯」と諡号(しごう※2)された諸葛亮を指し、彼を祀る霊廟を意味します。成都の武侯祠は西晋時代の末期(4世紀はじめ)に建てられ、その後何度も破壊、再建を繰り返し、1500年以上の歴史があります。

 

明代に、諸葛亮の主君であった劉備を祀った漢昭烈廟に併合され、これによって、主君と家臣を一緒に祀った中国でも珍しい祠堂になっていますが、現在の祠堂は1672年に再建されたもので、その時に、諸葛亮と劉備の建物は分けられています。

 

門を入り、まっすぐ進むと劉備、関羽、張飛の像を祀った漢昭烈廟が在り、その奥に諸葛亮とその子、孫の像が祀られた武侯祠があります。

諸葛亮は蜀漢の建国者である劉備の創業を助け、その子劉禅の丞相として良く補佐した名将として人気がありますが、劉備が諸葛亮を迎えるにあたり、晴耕雨読の生活を送っていた諸葛亮の自宅に、自ら3度足を運び承諾を得たという話が、有名な「三顧の礼」です。

 

 

※1 丞相(じょうしょう)は、古代中国の戦国時代以降のいくつかの王朝で、君主を補佐した最高位の官吏を指す。

今日における、元首が政務を総攬する国(大統領制の国や君主が任意に政府要職者を任命できる国)の首相に相当する。

 

※2 諡号(しごう)とは、貴人などの生前の行いを褒め称えて、死後に贈る名。「おくり名」ともいう。

 

性差医療情報ネットワーク 理事長 天野 惠子

静風荘病院 特別顧問(女性内科・女性外来特別診療)

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