2017.12.28
年末の御挨拶(ノーベル文学賞受賞講演に想う)
理事長からのご挨拶です。
今年はとにかく想定外のことが国内外で次々と展開された年でした。
米国・フランスでの政権の交代、英国のEU脱退、世界各地でのテロの頻発、北朝鮮によるミサイル発射。世界がまた再び政治的に分断されていくかのような流れです。
国内でも、9月に衆院解散、野党分裂などいろいろありました。
何より国内外で○○ファーストを唱える人々があふれました。大切にしたい、という意味のファースト、というより、排他的なファーストを感じてしまい、私の心は潰れそうでした。
そんな中、最後に嬉しいニュースが飛び込みました。日本が深く関係する2つのノーベル賞。
文学賞は日系の英国人作家イシグロ・カズオさん。
平和賞は核兵器廃絶国際キャンペーン「ICAN」。
ことに、スウェーデン・アカデミーでイシグロさんが行った記念講演には、心が洗い流されるようでした。
去年の12月、英国ロンドンの科学博物館に数学のギャラリーが新設され、目玉展示の一つとして「高潮予測シミュレーター」が置かれました。この装置を開発した方こそ、石黒鎮雄さん、カズオ・イシグロさんの父上です。
長崎海洋気象台で電子回路を使った高潮予測を手がけていた方です。
1953年に英・オランダ・ベルギーの沿岸で約2500人が犠牲になった北海の低気圧に端を発する高潮を念頭に、高潮予測装置の研究を続けておられました。
1960年、英国国立海洋研究所ジョージ・ディーコン所長の招きで渡英されました。
渡英した最初の11年間は、来年は帰国するといい続けておられたそうですが、結局、海洋研の正職員としてとどまり、高潮予測装置の改良を2007年87歳で亡くなるまで、続けておられたそうです。
さて、イシグロ・カズオさん御自身の話しに戻ります。
記念講演にて、イシグロさんはこう語りました。
「(イギリスで育ったとはいうものの)家では日本的な教育を受けました。
僕は日本の祖父から毎月送られてくる漫画や雑誌をむさぼるように読み、両親からは様々な日本の話を聞いて育ち、日本というものを想像していました。
小説の中の虚構の世界を創造するそのずっと前から、日本という土地を頭の中で一生懸命作りながら育ったんです。」
「最初はロックミュージシャンになりたいと思っていました。
でも、20代の半ばに僕の頭の中にある『日本の暮らし』は現実のものではないことに気がつきました。僕の想像の中の日本というものは、1960年~70年代にかけてほとんど失われてしまっていたんだ、と気がついたんです」
「僕の中にある『日本』は、かけがえがないものなのに、ひどく壊れやすいものだったんだ。そんな気持ちに突き動かされて、1979年から80年にかけ、ほとんど誰とも口をきかず原爆投下後の復興期の長崎を舞台にした小説を書いていました。
これが、最初の長編小説「遠い山なみの光」の一部です。その時に、小説の半分を完成しました」
イシグロ・カズオさんは作品の中で、一貫して「記憶と忘却」を書き続けているように思います。
2015年に出版された「忘れられた巨人」の執筆動機となったのは、1990年代のユーゴスラビアやルワンダの大虐殺を伴う民族紛争だったそうです。
そこの人々は平和に暮らしていたというのに、先の世代の対立の記憶をあえてその人々の心によみがえらせることで、憎しみを煽る。
そして、隣人同士がむごい殺し合いを始める様にショックを受けたのだそうです。
今回の記念講演のなかで彼が述べた言葉の中にも、こんなくだりがありました。
「1999年10月、ポーランドにあるナチスの強制収容所跡を訪ね、僕は考えました。
この建物は保存されるべきなのか、自然のまま朽ち果てるべきなのか、と。
僕たちは一体、何を記憶すべきで、記憶したとしてもそれをいつ忘れて、先へ進めばいいのか。『国家としての記憶』とはなんだろう。
人々は凄惨な過去の対立の記憶を「忘れること」でしか、暴力の連鎖を止めることができないのだろうか、と・・・」
まさに、忘却と記憶、についてのコメントだと感じました。
「僕はリベラルかつ文明化された世界というものが、小さくなったなあと気がつきました。
僕なりに出来るだけのことをやるしかありません。
平和には文学が重要だ、と僕は信じています。世界中で危険なまでに断絶が深まっている今こそ、僕たちは『お互いの声』に耳を傾けなくてはなりません。
若い世代の作家たちが世界を刺激し、世界平和を導いてくれることを僕は期待しています。
人は良いものを書き、良いものを読むことで、『人を隔てる壁』を打ち壊すことが出来るのです。」
イシグロ・カズオさんは、社会を分断するかのような今の世界の流れには大きな危惧を示しています。
45分間の記念講演が終わると、約500人の聴衆が総立ちとなって拍手を送ったそうです。
さて、新しい年はどんな年になるのでしょうか?
願わくば、人々の間で「言葉の重み」が再認識され、人々が互いの多様性を認め、そして、相手に対する思いやり溢れる社会になってほしいものです。
2018年は、心温かな年になって欲しいですね。
NAHW理事長
静風荘病院特別顧問 女性外来・松戸市立病院 女性特別外来
医師 天野 惠子