女性外来の診察室から

No.3 「原因不明の全身痛」の正体

「女性外来診察室から」は月に1度の割合で、書いていくつもりですが、1ケ月というのはあっという間に来てしまいますね。

「女性外来診察室から」は月に1度の割合で、書いていくつもりですが、1ケ月というのはあっという間に来てしまいますね。

 

今回は線維筋痛症についてお話ししたいと思います。

 

微小血管狭心症という病気を気づかせてくれたのが、日比谷高校時代の同級生ならば、この病気に気づかせてくれたのも日比谷高校の同級生でした。

彼女が「立っていられない、」「歩けない」「椅子に座ってもいられない」「寝ていても痛い」という全身の痛みに襲われたのは、1995年。日本ではこの病気が全く知られていない時代でした。

多くの有名病院を訪ね、痛みに効くと言われる薬を試しては、がっかりし、東洋医学の門を叩いてもよくならず、1998年の5月、「東大病院で診断がつかなければ、あきらめるわ」と東大病院に在籍していた私を訪ねてきました。彼女を東大病院整形外科に紹介しました。しかし、結果は「異常なし」でした。それから3年後、2001年、彼女は米国へ留学していた時代の友人の「来られるなら無理してでもいらっしゃい」という言葉に望みを託し、米国へ渡りました。そこで、線維筋痛症という病気を知るのです。

 

その時米国の友人に見せてもらった本「The Fibromyalgia relief handbook」を、彼女が翻訳し日本に紹介したのは2007年です。彼女はこの本の中に書いてある症状が、まさに自分を苦しめている症状であると実感し、帰国後、本の中に記載されていたアナフラニールをのみはじめました。2~3日で「この薬は効く」と実感したそうです。発症から診断確定までに6年の歳月が流れていました。私自身、2002年に彼女から「私の病気は線維筋痛症という病気らしい」という連絡を受けるまで、この病気を知りませんでした。

以後、そのつもりで診察をしていますと、女性外来を受診する女性の中にこの疾患と思われる女性が稀でなく存在するのに気がつきました。主訴は、全身の激痛、疲労感、頭痛、睡眠障害、関節痛、麻痺とうずき、記憶力と集中力の減退、抑うつ等々です。

 

交通事故後の発症例が一番多かったのですが、その他にも、夫の事故死に直面した方、体操時の頸椎損傷後など原因は様々でした。しかし、共通していたことは、最終的に精神疾患として精神科へいくようにと言われていたことです。そのことに納得ができない患者さんが、女性外来へ来られていました。

 

2003年に線維筋痛症に関する厚生労働省の研究班が立ち上げられました。それ以降、整形外科医を中心に医師の間で、この病気に対する認知が進みました。2007年、日本テレビの女性アナウンサーが「線維筋痛症」を苦にして、自ら命を絶つというニュースが日本中を駆け巡りました。この病気がテレビ、インターネット、週刊誌で取り上げられることも多くなり、一挙に一般の方々に認知されるようになりました。

 

治療では、まず①患者の訴えを聞く(傾聴)、②この病気についてきちんと患者さんに「現在分かっている事」をお話しし、共感を持って対処する、③患者の生活全般へのアドバイス、患者を支える周囲の方々へのアドバイスも重要です。その上で、近年、この疾患についてはリリカを始めとする有効な薬物治療が開発され、私が埼玉県新座市にある静風荘病院で施行している和温療法も有効であることが証明されていますので、発症の早い段階で、痛みに対して徹底的に対応していくことをお勧めします。

 

次回は、この病気から立ち直り、素晴らしい活動を開始した女性の話しをします。

 

白衣とリンゴ

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