2018.06.01
中国旅行②
理事長の中国旅行の続編です。
観光1日目:成都市内一日観光(都江堰(とこうえん)、杜甫草堂、武侯祠)
ホテルに到着したのが、午前0時過ぎ。
孫たちが、今朝は中々起きてこないであろう事を想定して、出発時間9時の市内観光を1日目(5月4日)として、パンダは明日(5月5日)にすることにしました。ホテルを9時に出発し、まず、都江堰へ。
都江堰は紀元前3世紀、戦国時代の秦の国、蜀郡の太守李冰(りひょう)が、洪水に悩む人々を救うために紀元前256年から251年にかけて原形となる堰を築造しました。
川の中に堤防を作り、上流からの水の一部を本流から分け、その水を玉塁山を切り開いた運河を通して、岷江左岸の乾燥した成都盆地へ流す形です。
山を切り開いて岷江から盆地への運河を建設する工事は、8年かかり李冰は工事の完成を見ることなく没し、息子が工事を引き継ぎ完成させました。
かつては、堤防には、テトラポット状の木枠が置かれていましたが、1974年に、本流側に閘門(こうもん)が完成し、この木枠の役割は終わりました。
現状は、北から南へ流れる岷江に人工の中州があり、西側を岷江本流として、東側を農業用水として活用しています。
堰は川を分水する「魚嘴」、土砂を灌江から排出する「飛沙堰」、灌江の水を運河へ導水する「宝瓶口」という3つの堤防上構造物からなっています(下図参照)。
都江堰完成後、成都平原は豊かな農業地帯へと変わり、成都の街は岷江からの水運がつながったことで物産の集まる交通の中心となりました。
現在では、都江堰全体は、水利施設を取り囲むように広大な自然公園となっており、成都から近いこともあって、この日も多くの観光客でにぎわっていました。
観光途中でウサギの頭を焼き鳥風に調理したものがあり、「これは余り辛くないですよ」と勧
められ、食しましたが、かなり辛いものでした。
以降、激辛で有名な四川料理はやめ、「子供用に辛くない料理で」とお願いしましたら、お味はとても美味でした。
ただし、毎回、量が多すぎて、3割ぐらいしか食べることが出来ませんでした。
孫が一番面食らったのは、食べていると次から次へとお土産を売る人、占いをする人などが
寄ってきて、その数10人をくだらない数だったことです。
性差医療情報ネットワーク 理事長 天野 惠子