天野理事長ブログ&スケジュール

2017.11.20

第65回日本心臓病学会学術集会②

天野惠子理事長の投稿、続編になります。

 

北村惣一郎先生による日本心臓病学会栄誉賞受賞記念講演 「Physician(Surgeon) Researcherになろうと50年 ― 続けることの大切さ」

 

講演の内容にも感動しましたが、自分が歩んでこられた人生を楽しげに、忌憚無く語られる姿に心を動かされ、家に戻ってからインターネット上でm3.com医療維新インタビューシリーズ「私の医歴書 北村惣一郎・国立循環病研究センター名誉総長」を見つけじっくりと読ませていただきました。

 

「心臓外科が華やかで、面白かった時代は、2000年前後くらいまでだと思う。それ以降は、冠動脈のステント留置、不整脈治療のカテーテルアブレーション、弁膜症の経カテーテル大動脈弁治療など、心臓カテーテルを専門に扱う内科医師が手がけることが多くなってきた。自分自身の名前がつくような手術手技を開発するのは夢だけど、技術が相当発展し、その余地はほとんどなくなっている。私のように幸せな心臓外科医人生を送ることが出来たのは、私が最後ではないか」

と語る北村先生は、1965年に大阪大学医学部を卒業し、1966年阪大第一外科へ入局します。
1965年インターン期間中に、アメリカ留学に必要なECFMG(Educational Commission for Foreign Medical Graduates)を取得。
1969年、臨床医として留学。留学先は、南カリフォルニア大学関連のセント・ビンセント病院。2年の予定が3年となり1972年帰国。1976年再びシカゴでレジデントとなります。

米国で本格的に外科医の仕事をするためのAmerican Board of Surgeryの取得が目的でしたが、最終的にはボスとうまく行かなくなり、結局資格を取得せずに1980年帰国。

 

1981年、奈良県立医大が心臓外科を立ち上げる際に、初代教授として赴任。39歳の若さでした。
奈良県立医大には、16年間在籍し、さまざまな新しい術式を開発し、その後になんらかの受賞をした仕事は、ほとんど奈良医大で始めています。

しかし、彼曰く「奈良医大の時代には、本当に新しい手術を数多くやった。けれども多くは変法で、阪大時代から始めた “世界初”は川崎病に対する小児冠動脈バイパス術のみだね」と。

 

次回は、「川崎病に対する小児冠動脈バイパス手術」についてです。

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