2017.05.16
ミャンマーへの旅③
天野理事長の投稿です。
2月24日(金曜日)午前8時、ヤンゴン空港からマンダレー空港へ飛ぶ。
迎えの車に乗り、マンダレー港へ向かい、Pandaw Ⅱに乗船。いよいよ10日間にわたるミャンマー/イラワジ川 Pandaw Cruiseの始まりである。
1日目(2月24日):
午前は歓迎の挨拶とこれからの船旅における安全を確保するための説明。12時半dining roomで昼食。14時MandalayとAmarapuraへバスで出発。
マンダレーはミャンマーのほぼ中央に位置し、ヤンゴンに次ぐ、ミャンマー第2の都市で、1885年イギリスに占領される前まで、この国最後の王朝(コンバウン朝)が置かれていた。
ここでは、金箔工房(3年間水に浸け、柔らかくなった竹の皮を乾燥させてから叩いて薄く伸ばし、それに、金粉を包み、大きなハンマーでひたすら叩き続ける。
金箔が出来上がると一定の大きさの紙に挟み、完成品にする。
金箔は仏像や仏塔に張られる)、大理石工房(大理石を彫って仏像の形に仕上げる)を見学し、アマラプラへ向かう。
アマラプラは織物の産地として有名で、いくつもの工房がある。
織物工房(緻密なデザインに沿って、ロンジーなどを織っていく)を見学の後、世界でもっとも長いチーク材で作られた橋にかかる夕日を愛でに行く。この橋は、全長1.2km、アマラプラの東に広がるタウンタマン湖を渡るために1849年に作られ、現在でも立派に人々の役に立っている。
19時半、ダイニングルームで夕食。
21時、Mandalay University]of Cultureの学生たちによる伝統的踊りをSun Deckで鑑賞する。
船は次の停泊地Sangaing Jettyに向けて出航。
2日目(2月25日)
6時起床。6時半からダイニングルームで朝食
8時、インワで馬車に乗り観光。インワは1364年にシャン族の都となって以来、約400年間ビルマ族王朝の都として栄えた。しかし、1838年に発生した大地震で甚大な被害を受け、1841年、ターラーワディー王が都をアマラプラへと移した。
ここでは、19世紀に建造されたチーク材によるBagaya Kyaung monastery(僧院)を見学。お土産売りの若い女性たちが船着場から自転車で僧院まで着いてくる。根負けして、絵葉書を購入。
10時には船に戻り、船はYandaboに向かって出航。12時半昼食。
15時半、Yandaboでの散策。ここは、水を入れる素焼きの水瓶の産地。この素焼きの水瓶は、「電気を使わずに少しでも冷たい水が飲みたい」という昔からの知恵が生かされたもので、瓶の表面に染み出てくる水が気化熱を奪うことで、中の水が冷たくなるという性質を利用している。
ミャンマーでは、人々にとって最重要である水を木陰や屋根の下などに設置していて、誰でも飲むことが出来る。水瓶には寄付をした人の名前が書いてあることも多い。輪廻を信じ、功徳を積むことに重きを置くミャンマーの人々においては、水瓶を設置することも、功徳を積む行為の一つ。
水瓶の値段は大きさにもよりますが500チャットから1000チャット*。
Yandaboは、第一次英緬戦争(1824~1826年)でビルマが敗れた際、英国とビルマの間でヤンダボ条約が締結されたことで知られている。
17時、船に戻り、船はPaganに向かって出航。
19時半、ダイニングルームで夕食。
*ミャンマーの通貨はミャンマー・チャット(Kyat)。1K=0.085円。