天野理事長ブログ&スケジュール

2017.02.21

天知る、地知る、我ぞ知る

天野惠子理事長のコラムです。

 

70歳を越えたころから、急速に体力・知力の衰えを感じるようになりました。

論文を読んでいても、集中力が途切れ、読んだ数日後には内容のほとんどが頭の中から消えていると言う現実は厳しいものがあります。

 

医者と言う仕事をしていると、高校時代の友人、大学時代の友人、社会へ出てからの知人などから深刻な病気の相談を受け、その後「薬効なくして亡くなりました」というご連絡を頂いたりすることも多くなりました。

 

やっぱり助けられなかったと知るときには、正直、疲れます。

そんな時、ぷらっと「たかの友梨」美容サロンにでかけ、ボデイマッサージ・リフレクソロジーをしてもらいます。

 

今年の初め、そこで、「今日の名言」を掲載したカレンダーを頂きました。

色々と身につまされる名言が載っていますが、今日はその中で見つけた「天知る、地知る、我ぞ知る」について調べてみました。

 

語源は、後韓時代に清廉な政治家として名を成した楊震の言葉です。

「十八史略」に記され、「楊震の四知」として有名です。

 

後韓時代には、宦官がはびこり、官僚も腐敗した時代でした。

楊震がある地方の太守に任命され、赴任の途中で宿泊した宿に、夜遅く県令の王密がひそかに訪ねてきました。

王密は、以前、楊震が彼の学識の高さを認めて官吏に登用した人物です。王密は懐より金子(きんす)を取り出すと、楊震に言いました。「これは賄賂(わいろ)ではありません。昔のご恩返しです」と。

楊震は言います、「恩返しなら世間に対して行えばよい」と。

王密は「今は、夜中ですから誰も知るものはおりません。そのように堅苦しくお考えなさらずとも」。それに対して、「天知る、地知る、子知る、我知る、寧ぞ(なんぞ)知るもの無しといわんや(天が知っている。地も知っている。お前も知っている。私も知っている。どうして知る者がいないと言えるのか)」と楊震は返したそうです。

2人だけの秘密と言っても、既に天が知り、地が知り、自分が知り、相手が知っているとの意味です。

 

楊震の最後は、天子(安帝)の側近たちによるたくらみにより、太尉を懲戒免職され、洛陽白内で毒を仰いで自決を遂げたとされています。

しかし、後に順帝が即位されると、側近らは誅殺となり、楊震とその子息の名誉は回復されたとのことです。

空にかざす手

 

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