2015.06.16
死への姿勢 –更年期外来での想い-
今回は医療法人清心会 春日クリニック院長 清田真由美先生のご執筆です。
私の更年期外来には、自らの体調不良に加えて、両親の介護負担で悩んで受診する人が増えている。
もっとあれもこれもしてあげたいのに、仕事、夫のこと、子供のこと、完璧を目指して、一人で頑張りすぎて、自らを追い詰め心身共に疲弊しきってこられる。
少子高齢化の進む中で、一人で4人の親を介護している人も決して珍しくないこの時代、心身の疲弊は当然かもしれないと共感してしまう。
日本は世界最速で超高齢社会・多死の時代に突入した。
要介護者を支える労働人口は減少する一方で、医療、介護費用は膨らむばかり。
国はその対策として、“時々入院、ほぼ在宅”という施策を推進してきているが、これでは更年期世代の介護負担がますます増加するのではと不安になる。
思えば、私の子どものころは、老いや死はもっと身近な生活の中にあった。友人のおじいちゃんが寝たきりでお迎えが近いと大人たちから聞かされ、子どもながらに理解していた。友人宅に行くときはできるだけ大きな声を出さないように気を遣った。そろそろ危ないと感じるころになっても、家族が仕事を休んで病人を取り囲み、お別れの瞬間を見守る風景はなかった。
いつものような生活を送る中に老いがあり、尊厳ある死があったような気がする。
超高齢社会、介護難民、多死時代などと暗いイメージの言葉が並ぶ昨今だが、むしろ今こそ、昔のように老いや死をもっと身近なものとして取り戻す時期ではないか。
我々の命は有限であり、自然の一部にすぎないことを思い出すべき時なのだ。
しっかりと心を通わすだけで豊かなお別れはできる。そんな静かな老い、死に接するとき、私たちは、自分の命や健康が限りあるものだと肌で感じ、自分の健康を気遣い、人にも優しくなれるのだと思う。
これからの厳しい時代もそう考えると少しだけ心にゆとりができるかもしれない、更年期外来の診察室でふとそんなことを考えた。
医療法人清心会 春日クリニック院長 清田真由美